①学習性無力感/逃げられない理由

“学習性無力感” を簡単に訳すとあきらめる」事を「学習する」事

『学習性無力感とは米国の心理学者マーティン・セリグマンが1967年に発表した概念です。抵抗や回避ができない困難なストレスに長期間さらされる(抑圧)、と「自分が何をしても状況は変わらない」と、無力感を体験し学習する事です』

「学習性絶望感」や「学習性無気力」とも呼ばれ、
一種の抑うつ状態としても注目されている。

前のページで「隠れた、大きな問題」として取り上げた内容も学習性無力感の中に入ります。

隠れた、大きな問題とは、

例えば、
突然、夫(加害者)が暴力を振るったとき、
被害者となる妻は、ビックリするのと同時に「止めて」と、夫の行動を止めます。

この止める行動が夫の暴力に火を付ける、すると、日に日にエスカレートしていく、
そうして、妻は、夫の暴力を止めるよりも、なぜか・・謝る行為”を始める

この行為が、 ごく自然に『あきらめる事を学んだ』行為なのです。

では、被害者の妻の心の中を覗いてみると
何を言ってもダメ、何をしてもダメ、もう、何も考えられない、何もできない・・」と、
無意識に、ごく自然に、諦めることを学んでいるのです。

あきらめる事を学ぶ』と、思考停止になり『逃げる』という行動も思いつかない。
つまり
「どうしよう、どうすればいい」などと過ぎらす事とも出来ず、ただその場に居続ける。


あなただったら「あきらめてしまいますか?」 あきらめないで欲しい、です。
“学習性無力感”・・、誰の心にも宿る、かも知れません。
自分の心に『活を入れられるのは、自分』だからです。



■無力感の学びから脱出(実話)

中2の頃「教室の中で虐め(?)」が、目につくようになった。
(実は、小学生の頃から “カラカイ” から始まる、”虐め” が始まっていたと思う)

加害者は “笑み” をこぼす、被害者は「イヤだ、止めろ」と訴えていた、それでも、加害者の虐め(からかい)、馬鹿にするような言葉は・・止まらず、エスカレートするように、加害者の顔には笑みが広がり、手が動く「ボコ」っと被害者の頭を叩いた、

始めは、1人の加害者から始まったが、1人増え、また1人増えた・・・。
第三者の目には、“仲の良い友だちの光景” に、映っている、かも・・・。
その理由として考えられるのは、被害者が見せる “笑み”。

孤立する被害者は抵抗することを諦めるように、馬鹿にされても叩かれても一緒に笑う。
クラスの中で笑い声が飛び交う、担任は「仲がいいなぁ」と笑みをこぼした。

      そんな変な空気が・・クラスの中に広がる、
      私の気持ちの中では・・モヤモヤが広がった。

そのとき「よっ!」と、私に声を掛けてきたのは、虐めを受けている被害者だった。
その虐めを見守ることしかできなかった私へ、笑みをこぼすその顔を見て “ホッ” とし、
ごく自然に笑みを返して、ごく普通に話を弾ませた。

この出来事が、きっかけになったのだろうか、気がつくと虐めは消えていたのです。
ほんの僅かな切っ掛けが「その場の空気の流れを変える」と、思えた出来事でした。


※「学習性無力感」から抜け出すには、まず、自分の意識を変える、ですね。
 もう一つは、誰かの細やかな手があれば、その場の空気が変わる・・・ですねっ。