⑧希望の構造/逃げられない理由

機能不全家族の中で生きていると、ごく自然に、生きる希望が消えてしまいます。
それでも生きている自分を支えるには『何か”、生きるための “希望が必要”』なのです。

   ・きっと・・・、いつか、誰かが、救ってくれる。
   ・きっと・・・、親は、変わってくれる。
   ・きっと・・・、誰かが、来て、止めてくれる。

きっと・・、きっと・・、と、叶わない希望を抱き続ける。でも、実は・・叶わない希望と気付いている・・それでも、その希望を持ち続けているのは・・生きるためなのです。


・通常の希望とは、希望という箱の中にはきが詰まっている「希望という光」
・叶わない希望とは、箱の中に何も入っていないのに「希望」として大切にする。



機能不全家族の中で生きてきた人が、その家を出ても『同じ環境』を選んでしまう。
人生で学んだ、ストレスを求めて、無意識に、虐待する男性を選んでしまうのです。

その後は「夫は変わってくれる」と、「希望」を持ち続ける。
これが “希望の構造” という考え方です。



■生きるためには『何か』希望が必要

どんな人生でも、生きるためには『希望』が必要なのです。
そして、赤ちゃんでもお年寄りの方でも、誰でも、生きるためには希望が必要なのです。

私が『何も入っていない、希望の箱』を手にした出来事は、突然「今日からこの人が、お母さんだ」と、父が顔いっぱいに笑みを広げた。この時の父の顔は、当時3歳の私の脳裏に鮮明に記憶された。その理由は、こんなに笑みを広げる父の顔を初めて見たからです。

そのため、突然いなくなった母と兄の事を、私は聞きたいのに・・聞くことは出来なかった。
それでも、父が “母と兄を追い出した” と、大人たちの噂話で、私の耳に入った。

そうして、3年が過ぎると今度は継母から父に離婚を要求した・・父は拒否。
離婚を拒否された継母は、死の道をえらだ。


親の人生は子どもの人生に直結する。(今だから分かる事)

父が、離婚と再婚をした時、1つの家庭が壊れ、それぞれの人生の歯車が・・狂い始めた。
離婚 → 継母の自殺 → 父親の自殺 → この世に残った、当時6歳の私は “厄介者” となった。

父親に引き取られた私は、父方の祖母の家へ(法律で定められている)
すると、祖母は“引き取りたくない”私を目にする度に『何で生きている! 死ね!』と連呼。
その言葉を耳にする私は『死にたい、殺してくれ』と、何度も心の中で叫んでいた。

そうして、約半年後に祖母の家から、見ず知らずの家庭へ養女となる。
ここでも『厄介者』『死にたい』の思いは、消えることはなかった。
一方で『母と兄が迎えに来てくれる』と、叶わない希望を何年も何年も持ち続けた

これが『私にとっての希望の光』だった。

見ず知らずの養父母に引き取られたが・・心は空しかった、人目を避けて泣く日々が続く。
「私も死にたい、なぜ、連れて逝ってくれなかった」と、空を見つめては、心が騒いた。


今だから思うことは「もっと養父母たちと話をすれば良かった」です。
養父母たちは、私への言葉かけが、少なく、この姿勢が、当時子どもの私を孤独にさせた。

子どもから声を掛けるのは難しい。大人から声を掛けて欲しい。です。_(._.)_


自殺願望を持つ私が、自ら死を選ぶことを止めた理由

「これを食べたら死んじゃうよ、食べちゃダメだよ」と、養母から注意を受けた物を集めた。
そうして集まったモノは、夜、布団の中へ入る前に、飲む、翌朝、目が覚めないことを願って・・

  朝、目が覚めると「今日も、死ねなかった」と、がっかり・・した。

当時6歳の私は死に方を知らない、頼ったのは『これを食べちゃダメ』と、いわれたモノを集めて飲む。この流れを繰り返して3年。小4になったある日、養母の泣き声が・・突然、聞こえてきた。

「ふくみが死んじゃった。どうしよう、どうしよう」と「死んじゃった、死んじゃったよ、私が悪い、私のセイだ」と悲痛な声を響かせて、養母は自分を責め続けた。

“泣き叫ぶ”養母、“謝り続ける”養母、自分の責任だと “自分を責め続ける” 養母、を、宙に浮いた私が見つめていた『あ・・私・・だぁ』と、親を失った当時の自分が重なった。


そのとき、私の目が開いた、
「ゆめ、かぁ、」と、ホッとしながら、涙が頬を・・。
「ごめんね、もう、しないから・・」と、囁く・・、
「ダメだよ、見ず知らずの私を、引き取ってくれた人を、泣かしちゃ・・」
「私が味わったあの苦しみは、私だけでいい、ごめん・・ごめんね、もう、しないから」
と、夢の中の養母に誓った。

あの時の養母の姿は「親の死を見つめて、泣きたいのに泣けない、私の思い」が、再現されていた。
今でも、あの夢は鮮明に記憶している・・・・・・


※大人たちは子供をバカにするな

当時6歳の私に、大人たちは何も話してはくれなかった。もちろん “自殺した” 事も、
(バカにするな、子供は大人よりも観察力は鋭いんだ ゾオ。)

その理由は「子供だから、話しても分からない、話さなくともいいだろう」と、関係者が決めた。 ところが、周りにいた大人たちの口までは・・閉ざすことは出来ない。

コソコソと話し声が聞こえてくる。「自殺だってよ、可哀想に、まだ小さいのに」「大丈夫よ、小さいから、直ぐに忘れるわ」「ほら、遊んでいるじゃない」などの囁きがしっかりと聞こえてくる。

囁く声は、以外にも詳細なもの、あちらこちらから囁かれる話の内容を、私は遊んでいる振りをしながら、 ずーと聞き耳を立てて聞いていた。そして・・現状を予測した。

子供は語ることが許されず、真実を聞くことも、許されない。(大人からの無言の圧力)
そのために、心の傷は癒やされず、たった1人で抱え込み、時を刻む・・・

ここには「子どもの人権などない」ですよね。

トラウマを抱える子供のために、1つ、弁解します。・・・・
トラウマを受けた子供が “遊ぶ理由”は、現実を受け止めるには、“過酷” すぎるからです。
過酷すぎる現実は『心が崩壊する』そんな心を守るために、子どもは “遊ぶ” のです。


※今だから解ること、

『死にたい』とか、迎えに来てくれるはずのない『親や兄』に、希望を持っている間は『過去』を見つめ続けている証拠。だから『今』を見つめることが出来ない、何も考えられない。

空っぽの希望』に、しがみついていると、『新しい生活』に、目が向かないのです。

新しい生活を見つめるには、過去の出来事を清算し空箱の希望を、捨てる事です。
そのとき始めて、現実を見つめることが出来るのです。

まず、自分を見つめて、自分を認める事から始まります。ここからスタートです。

自分を支えてくれるのは、過去ではない、
今、目の前にいる、養父母であり、学校であり、友だちである、と。

間違えないでね、“過去を捨てる”、事ではありません。
過去は、想い出にかわります。

今は、養父母たちに会いたい、6歳から育った地が恋しい、です。
でも・・、家も、養父母もいない、それでも帰りたい、会いたいです。