人は、所詮、1人、なんだよ

ひとりじゃない

この言葉を、今回で、3度、耳にした。
理由は 『生まれてくる時も、死ぬ時も、ひとりでしょ』と、みんな同じ言葉を使った。


本当に、そうだろうか・・・
私は、ひねくれているせいか・・“違う”・・、と、思ってしまう、


生まれた時も、死んでいく時も、本当に・・、1人、なのだろうか、
違うよね、必ず、誰の手を借りている。

私が子どもを出産したときは、産婦人科、先生や看護師さんたちの手も借りた。
親が死んだときも、葬儀屋さん、お坊さん、近所の人たちとたくさんの人の手を借りた。

それだけじゃないよね、
自分でも気付かない人たちの手が、たくさんの人たちの手が、、、ある。


子どもがお腹に宿るのも・・・ひとりではムリ。
自分のことは自分でやっていた人でも、 死んでしまったら何も出来なくなる。

そんなことを考えると、
なぜ『人は所詮ひとり』なんて言うんだろう・・と、いつも考えてしまう。


  そんな私は、
  「今、孤独を感じているのかな・・」と、思いが巡る。





『ひとりぼっち・・』な~んて、過ぎったことはありますか・・・・??


それは、どんな時かな・・と、振り返ると・・・『親に見捨てられた』と、噛みしめた時間へ戻る。
その思いを探ると “居場所がない”、“嫌われた”、“捨てられた”、などの言葉が並ぶ。

     
     その他には、親の都合で、離婚・再婚、自殺なども、含まれる・・かな、
     そして、話しかけても『無視された』とか『会話が出来ない』事も孤独を味合う。

そんな思いに駆られているときは、友だちも作れない、かも知れませんね。
   「友だちなんか入らない、どうせ、私はひとりぼっち・・」と、心が呟く。
  

これって実は、自ら、他人との接触(会話とか)を避けて、口を閉じ笑顔も泣くことも・・封印。
他人に、本当の自分を見せないために、まるで、亀のように、自分の甲羅の中で身を潜める。


自分を護るために取る行動に潜む思いは、
『あの寂しさ、悲しさは・・もう、2度とゴメンだ』の思いだけが広がる・・。


やっぱり、家庭とは、人生のとても大切な居場所であり、人生のスタートライン
だからこそ、親は子どもの道しるべ・・なんだ・・と。


“ひとりぼっち” と、思っていたけど・・、本当は、ひとりじゃなかった


例えば『ご飯を食べた』この流れだけを考えてみると、お米を作る人の手があり、お米をご飯へと炊く釜や火もあり、それらを作り上げた人の手もある。目には見えないたくさんの人の手を借りていたんだなぁ・・と、今だからしみじみ思い、解る。

何かを学ぶ時は『学校や教室』そして、教えてくれる『先生』などの人の手があり、
社会に出ても『会社』や『先輩』、自営をしても『社会』や『専門職の方々』の手がある、

人はどこに居ても、たくさんの人の手を借りている
だから、“人は、ひとりじゃない”、ひとりにはなれない、必ず、誰かの手を借りている。


どんなに迷惑を掛けても、何度も「俺は・・、私は・・、ひとり」と、唱えても、
絶対に、ひとりじゃない。だから、声を出してみようか・・


自分の命は、確かに、自分のものだけど、その命を守っているのは、大勢の人の手。
迷惑を掛ければ、誰かが尻拭いをする。
自ら死を選べば、泣く人も居れば、悔しがる人も居る、
そして、見ず知らずの人が心配をし、必死に、助けようとする。


どんな時でも、大勢の人の手があることを・・私も、覚えておこう。
お願いだから、自らひとりにならないで、、、お願いだから。



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