日々のニュースの中で気になるのは、

『命』いのち・・、予期しない出来事によって失われる命・・救えないのだろうか?

   親から子へ「しつけと称した暴力」によって、親の手で奪われてしまう命。
   友だちから友だちへ「虐めと称した暴力」によって、友だちが友だちの命を奪う。
   そして、加害者の暴力に耐えきれなくなった、被害者が選ぶ「自分の命を絶つ」。

これらの命は「暴力」という出来事がなければ・・、
この世から消えずに・・今も生き続けていたのでは・・と、思いを寄せてしまう。

できることならば、このような事件は・・無くなって欲しいです。


「いのち・・命」について考えてみませんか・・?

失われた命は、もう2度と戻っては来ない。

    子供がこの世を去った時、親はどうなると思いますか・・。
    親がこの世を去った時、子供はどうなると思いますか・・。

どうしても逃れられない・・「死」も有るけれど・・、
行為に奪われた命は、残された者の心を痛めます『自分が悪い、あのとき、こうしていれば、救えた・・のでは、』と、大切な人の死を “自分のせい” で、の思いが強くなり、自分だけを攻め続けます。失った命が恋しければ恋しいほど、自分を攻め続けます。

どのような別れでも、分かっていることは、残された者は「孤独」を呼び込みます。

  親が自らの命を絶ったとき、子供は・・どうなる?
    私の場合は、当然ですが、住む家もなくなり、その後は邪魔者扱い・・。
    居場所も大切ですが、残された子供の人生は大きく変わるのです
    悔しいのが・・、そんな子どもの人生を自らの命を絶った親が知らない事です。

  子供が自らの命を断ったとき、親は・・どうなる?
    順番で行けば、親よりも先に子供が逝くなんて・・親は考えられないのです。
    そんな親の身も心も抜け殻、未来を失い、全てに対して背を向けてしまいます。
    「なぜ、一言、相談をしてくれなかった」 と、親は悔やみ続けます。


「命」って、一軒、自分のもの、そんな思いがありますが、
人は、1人では生きてはいけないのです。
いつも、常に、誰かの手があり、誰かに守られ続け、誰かを守り続けているのです。

だから、自分の命だけれども、“自分だけの命ではない” のです。
守ってくれる人がいる、守っている人がいる、その事は忘れないで欲しいです。

私は今でも生きてさえいてくれれば・・、と、この世を去った人を恋しがっています。
他界した人を思い起こすと、今でも、きっと、いつまでも、この先も連れ歩くのだろう・・なぁ。


私の思い

私が歩いてきた道・・・人生の道を思い起こすと、沢山の後悔の山に・・ぶち当たります。

   一番、高い山は、養父母たちと共に暮らした・・山。
      この山は、どんどん高くなった。(私が気付かなかった、幸せ)

      それなのに、私は、その幸せの山を降りた・・、
      そして、子どもと2人の山を作った。

      このとき、出来ることならば、養父母の山へ戻りたかった。
      でも・・、できなかった・・。

その理由は、私は養父母たちに本心が言えなかった。
ほんとうの自分の気持ちを言えたなら、どんなに良かったか・・と、今は思う。

それが出来ず、遠くに・・子どもと2人の山を作った。
この山は、どんどん小さくなっていった・・、そして、山は消えた。

それなのに、後悔の山は、今も作り続けている。どんどん大きくなっている。

会いたいなぁ・・、
帰りたいなぁ・・、

どこへ・・? 私が帰る場所は、もう、どこにもない・・


  おやじさんの想い出、二人で車に乗ったときの、あの微笑み。
  おふくろさんの想い出、病院で笑みをこぼしながら涙を拭いた、あの微笑み。

  息子は、いつも、笑っていた。
  私が苦しいときは、必ず、笑顔をくれた、あの笑顔があったから、私は頑張れた。

みんな、みんな、ありがとう


私は親の自殺をみつめ、子どもの死も見つめた。
どっちも・・つらいよ、つらいです・・・。