第一段階 最初の反応はショック/死別の悲しみ

大切な人を失ったとき、例え、病気などで医師から死を予測されていても・・、
       そして、予期しない突然の出来事などで命が消えてしまうと・・、

誰でも、どんな人でも「ショック」を受けます。
          ※ショックとは精神的外傷(トラウマ)の大きさを表す言葉※


トラウマの大きさ” は、いろいろな要素によって違ってきます。
死をもたらせた時の状況、ショックの大きさ、ショックが続く期間の長さに影響します。

    たとえ、「心の準備ができている」と思っている人さえも、
    愛する人の死を、大切な人の死を、目の前にするとショックを受けます、
    つまり「死=終」を意味しているからです。


・ショックに対する反応

※ショックに対する反応は、人によって異なります。

   例えば、気を失う、叫ぶ、夢中でしゃべり続けるなどの反応を示す人。
       頭がぼんやりして、人からの働きかけに反応しない人。
       何も変わったことはない・・ように、振る舞う人もいます。


第三者は、いつもと変わらない様子に対して「しっかりしているわね」と、気軽に言う。
   はっきり言って、この言葉は残酷で最悪です、私も言われて怒りが湧いた。
   心の中では、そんな自分に嫌気を差していました。

   だから、お願いです。そんな言葉を使わないで下さい。
   どんなに心が傷ついていても、どんなに心がボロボロでも、普段のまま、だからです。

取り乱したいのに、出来ず、いつもと変わらない態度、行動を取ってしまいます、
私は、自分を見失うほどに、壊れていたのに・・・人前ではいつものように気を遣った。

そんな私に、友だちさえも「まっ、がんばってね」の言葉を残した、後に、この友だちから電話があり、いつもの調子で話しかけてきた。その内容に切れた私「私の友だちじゃないの? 私は友だちだと思っていたのに、違うの、息子が死んだんだよ」と、ガチャンと受話器を切ったことを覚えています。(アハ、気遣いにも、我慢にも、限界があります)


そんな私を救ったのは、勉強で学んだ、ショックの反応は、普段の振る舞いと変わらない この言葉に救われた。当時の私は「なんで、なんで、こんな時までも、気を遣う・・」と、自分への怒りだけを大きくし自分を攻めていた。

心の悲鳴を素直に表現できたなら、どんなにいいだろう・・・、と思った。


・ショック期の特徴として

「警戒心が異常に強くなる」
  安全が脅かされていると感じたときに・・起こる自然な反応なのです。

「実際に起こったことが信じられない」
  現実と心のあいだの緩衝剤として働きます。

「混乱して考えがまとまらない」
  混乱した頭もいつかは、もとに戻ります。心配しないでね。

④「気持ちが落ち着かず何かせずにいられない
  また「夢の中の出来事のように感じる」

  心が現実を拒否しているからです。
  精神的に辛い状況に置かれたときに、起こる防御作用の1つなのです。
  精神を麻痺させて現実から一時的にでも逃避する、
  現実逃避は回復の時間をくれます

⑤「自分ではどうしようもないという無力感に襲われる」

  現実を変えられない事に対する無力感なのです。
  死は人生の中で私たちがコントロールできない出来事の1つ、
  だから無力感に襲われる。


・ショック期の持つ社会的側面 (社会的・対人的影響)

「自分の殻に閉じこもる」 (自分を守るために殻に閉じ込もる)
  現実の世界から切り離されているように感じる、
  ただ故人のことだけを考え続ける。

「故人のこと以外、何も考えられない」
  どこにいても辛い思い、辛い情景が次々と頭に浮かぶ。

「死に伴う儀式を行う」
  現実逃避をしている最中に、葬儀の手続きを行う。

    (引きこもりたい時期に、沢山の人に会う・・ほんと辛いです)


・悲しみは感情面だけじゃない

悲しみは感情面だけではなく、身体的・社会的な要素もある。
 
   ①口の中が乾く  ②ため息やあくびでる  ③身体が震える 
   ④身体がぴくっと痙攣する    ⑤身体に力が入らない
   ⑥眠れない    ⑦泣く    ⑧食欲がない 

他には、身体が重い、座り込んで1点を見つめている、と、
   突然立ち上がって動き回る・・、などの症状も・・あります、

■この段階で特に注意すべき症状は、食欲減退不眠、この2つは死別後の初期段階で、私たちが経験する大きなトラウマ(精神的外傷)とストレスの兆候といえます。

■葬式は「社会的に認められた」悲しむための場所なのです。
この時に感情を抑え込むことなく、悲しみを思いっきり吐き出しましょう

■葬儀が終わった頃に次の段階へ移り、それまで押さえ込まれていた感情があふれ出ます。悲しみのプロセスの第二段階が始まったのです。



この時期の私は・・・

全く死を受け入れられない、ではなく、現実をスルーするように、
目の前で眠っている息子の姿を、認めない、認めない、と、
脳で、心で、否定し続けた、つまり、現実の時に背を向けていたのです。

そんな私は、
お葬式の日、棺桶に眠っている息子に「起きて、いつまで眠っているの、起きてよ。ねぇ、今、起きないと・・」なんて、私自身が驚くほど大騒ぎしました。

そんな私に驚いた友だちが、私のところに飛んできて、抱きしめてくれた。
(このとき、抱きしめられることで・・心からホッとした、事を覚えています)

また、私は、棺桶に入っている息子に、会えない、会えばきっと取り乱す、会えば死を認めることになる、そんな思いから、拒否していた私に、友だちは「母親でしょ、最後の息子の顔みてあげなさい、母親なんだから」と、叱ってくれた。

私は、この2人に、今でも心から感謝しています。
あのとき、友だちの誠意が伝わってきた、暖かい温もりをありがとう。