心愛ちゃん虐待死、父親の言葉

子どもが危険-躾という暴力

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千葉県野田市、2019年1月、小学4年の栗原心愛さん(当時10才)が自宅で死亡した虐待事件。
傷害致死罪などに問われた父親勇一郎被告(42才)の裁判員裁判初公判が2月21日開かれた。

心愛さんに十分な食事を与えず、浴室に立たせて眠らせない、シャワーで冷水を浴びせた、
などの虐待を加え死亡させた傷害致死などの罪に問われている

勇一郎被告は傷害致死罪の成立を争わないとした上で起訴内容の暴行については、
●「飢餓状態・強度のストレスを与え衰弱しても構わない」と、思った事はない。
●「肌着のみで暖房のない浴室に放置、十分な睡眠を取らせなかった」事は、していない。
●「浴室に連れ込みシャワーで顔面に冷水を浴びせ続けるなど」の暴行は、していない。

勇一郎被告の言葉
■「娘にしてきた事は、しつけの範囲を超えたものだ、と深く後悔しています」
■「娘のためにできる事は、事件にしっかり向き合い、事実を伝え審理で明らかにする事」
■「暴行はしていません」

検察側
勇一郎被告は一度離婚した心愛さんの母親(33)と、2017年に再婚。再婚後に生まれた次女をかわいがる一方「離れている間に成長した心愛さんを疎ましく思うようになり、次女の育児のストレスのはけ口にしていた」と指摘。

弁護側
勇一郎被告が心愛さんの死亡直前の暴行行為について「立たせて屈伸を何度もさせた」ことは認めて「死なせた責任がある」と。一方で「妻に食事を与えないように指示はしていない。心愛さんが掃除をせず暴れたので浴室で髪の毛の生え際に冷水をかけただけ」と主張。

 弁護側の言葉は、正に、心愛さんへの思いなど全く感じられず、勇一郎被告自身の弁面だ。
 極めつけは、暴力は否定しているのに「死なせた責任」という言葉で親という位置づけを強調。
 (私はひねくれているだろうか・・_(._.)_ ・・・)

2017年11月、心愛さんは小学校のアンケートに「先生、どうにかできませんか」と父親の暴力を訴え県柏児童相談所に一時保護された。『勇一郎被告は虐待を否定』

母親は「虐待を手助けした」と傷害ほう助罪に問われ、
    懲役2年6月、保護観察付き執行猶予5年の有罪判決が確定。

※ 母親の公判では、勇一郎被告が心愛さんをぬれた肌着姿で長時間立たせ、体を床に打ちつけてけがを負わせるなど、2018年末にかけて暴力が激化した様子が明らかになった。
※ 死亡直前の心愛さんは自力で立つことが困難なほど衰弱していたという。
※ 勇一郎被告は、母親への暴行罪など計6件の罪に問われている。

と、簡単な内容を掲載しました。

■下記の内容は、MuMu(管理人)の持論を書きます。

この事件には、たくさんの疑問があります、貴方にも考えて頂けると・・・嬉しいです。

① 県柏児童相談所に “一時保護” された、
後に、勇一郎被告は虐待を否定、すると「心愛さんは戻された」

戻された心愛さんは、どうなると思いますか?
もちろん、勇一郎被告から、心愛さんは “今まで以上の暴力”を受けます。
その理由は、暴力を振るう父親は『自分こそが被害者だ』と、被害者意識が強い。

躾が、云々ではなく、暴力を振るった・・からでもなく、根本から間違っている事を伝えなければならない。加害者である父親に『あなたこそが加害者だ』を、伝えて認識させなければならない。


なぜ、児童相談所は、子どもを戻したのか? (下記内容も私の持論_(._.)_ )
・児童相談所の職員は、子どもの話よりも大人の話を信じる。(児童相談所だけじゃない)
・児童相談所は、忙しいから1人でも減ることを望んでいる。(だから大人の嘘に乗っかる)
・児童相談所の職員は、勇一郎被告が恐かった。 (自分たちの身だけを守っている)
・児童相談所の職員は、子どもを戻した後、子どもがどんな生活を送るのか・・考えない。
 (虐待をする大人を軽視し過ぎです)
・児童相談所の職員は、子どもの話に耳を傾けない、耳を傾けるのは “指示書のマニュアル”。
・児童相談所の職員は、“虐待の体験がない”。 (体験が無い人には、本当の怖さが伝わらない)
・虐待の体験がなければ、子どもが抱える恐怖は理解できない。(子どもは親から手足を奪われる)

※ 虐待する親は「自分こそが被害者だ」と、思い込んでいる。
※「外面がとても良い」のも特徴的です。
※ 上記の2点を持っているため “子どもが他人に助けを求めたら、親は怒り爆発” です。
※ 1度、救った子どもを親の元へ戻せば、親は「被害者意識が強くなる」



※ 躾と称する暴力の実態は、
子どもを良くしよう・・と、考えるのではなく、“親自身の評価を高く” するために行うため人前では「子煩悩」とか「子どもの面倒をよく見ている」とか「子育て頑張っている」姿をみせます、そのため他人の視線は高評価なのです。
そんな人だから『人前で恥をかく事を嫌う』、まして、子どもが親の暴力を誰かに訴えたならば「子どものくせに俺に逆らって、俺が食わせているんだ、こんなに俺は頑張っているのに、お前は・・」と、怒りは噴火。他人から否定される事は、大嫌いな人なのです。


躾という名” を借りて、“俺に従え” と、脅迫も埋め込みながら【暴力】を繰り返す。


②どうして母親は子どもを助けない!?

「助けることが出来なくなる」・・が、正解かな・・悲しいけど。

目の前で暴力を見つめれば「恐怖を学ぶ」。すると “恐い” と思う気持ちが生まれます。
そして、自分を護るために「自己防衛」する。これは当然の流れです。

誰だって暴力を振るわれるのはイヤです「止めれば自分に暴力が及ぶ」と考えるのは、ごく自然な事なのです。繰り返されることで逃げることも出来なくなり、自分も子どもも守ることも出来なくなります。暴力が繰り返される家庭の中にいると、あなたまでも暴力を学んでしまうかも知れません。初めて暴力を振るわれたとき、勇気を持って逃げてください。子どもが居れば連れて逃げて欲しい。

子どもを守れるのは、あなたです。


③ 躾と暴力の境界線は? それは、間違いです。

耳にする言葉に『躾と暴力の境界線は?』がありますが、それは、間違いです。
しつけと暴力は、全く別物です。

しつけは『しつけ』です。暴力は『暴力』なのです。

子どもが可愛い、子どもに伝えたい、その思いは “しつけ” なのです。
でも、世間から親自身が高評価を受けたい、その思いは “ただの暴力” になってしまう。

しつけは、子どもを見つめる。
暴力は、自分の位置づけを見つめる。

『あー、イライラする』と、八つ当たりをした。そんな時に自分の行動に怒りを持つ人は、まだまだやり直しが出来ます。大丈夫、自分を変えてください、意識を用いて自分を変えてください。

例えば、引っ越して環境を変えたり、仕事と家庭を切り離すために、家へ戻る前に5分でもいい自分に休息をあげてください、1人の時間を作ってみて下さい。大丈夫、大丈夫、呼吸を整えてね。



※『居場所をください』・・観ました。
家庭、家族のあり方が、映し出されているように・・・思えた。

また、色々なことを思い出した。父親のレイプから逃げてきた女の子、虐待されて育ち、暴力を振るう彼に出会う女の子、リストカットを続ける女の子、40年前から耳にしていた話が流れた。

その当時に比べて現在の方が逃げ場がある・・ようにも思えた。でも、このような出来事は、なぜ、無くならないのだろうか・・、児童関係の本や歴史を読むと、昔から続いている。

こんな話に出会う度に、何か、何か、出来ないか・・と、考えるが、何も出来ない、そんな自分が腹立たしい・・子どもは親の人生を歩んでしまう・・子どもは親から異性や人生を学ぶ・・・


なんか・・・くやしいなぁ・・、何も出来ない自分が・・・

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