コミュニケーション

コミュニケーションという言葉を考えると、
どうやってコミュニケーションをとればいい? なんて、考えちゃう・・。
 

コミュニケーションの言葉の意味を調べてみると、
『気持・意見などを、言葉などを通じて相手に伝えること。通じ合い。』と。

 
この文語から、コミュニケーションを考えると、なんとなく重く感じる・・・のは、私だけ?
頻繁に使われる、「コミュニケーションをとりましょう」、なんて言われてしまうと・・フムフム???
 
そんな私が考える、コミュニケーションの始まりは・・・、“挨拶” ですね。
「おはよう」「こんにちは」などの言葉ですが、家庭内で、親子間で、お互いが声を掛け合っていますか?
 
多分、友だちとは使えていることと思います。
だから、“友だち” だもんね。 “よっ!” とかね、言い合って笑みを広げたりね。
 

あいさつ言葉がコミュニケーションの始まり

あいさつ言葉がコミュニケーションの始まりだと知ったのは、愛犬のお陰です。
コミュニケーションの先生は、愛犬です。
 
犬を連れて歩いていると人が寄ってきます。見ず知らずの土地に引っ越しても、顔も名前も知らない人に出会っても、犬を覗き込むその視線に対して、 私が「おはようございます」とか「こんにちは」などの言葉を投げかけると、ニコッと笑みを広げて会話が始まります。
 
犬の話題を中心に、自分の体験談を話される方、座り込んでワンちゃんと話す方、ワンちゃんに触れてニコニコする方、その場で長話になる事も・・です。
 
その反対に、ワンちゃんを目にして避ける方も「犬は嫌いだ」と怒る人もいらっしゃいます。
我が家のワンちゃんは吠えられても吠え返すこともなく、子供が寄ってきても吠えることはしません。
 

これらの姿、全てが、“コミュニケーション”、だと思います。

 
コミュニケーションという言葉に翻弄される必要はない。
言葉を使いたくないのならそれでいい。 自分が発したい言葉を使えばいい、自分らしく、ねっ。
 
 

 

あいさつ言葉で・・振り返ると、
学生時代の私は、家庭内であいさつ言葉を自然に発した記憶がない。
この頃の私は、学校でも先生にもクラスメイトたちにも、言えていませんでしたね。
 

幼少の頃の体験は、“誰にも話せない”、と、口を閉ざす。
言葉を閉ざすと、心も閉じる。

 
そうなんです、友だちもいません。小4年生の後半頃までは口チャック、でした。
この時期の私は『大人が嫌い、嘘つき、人が嫌い、自分が嫌い』と人間不信に陥っていた。
 
 

 
 

コミュニケーションが必要と言われている、今、

気をつけなければならないのは、言葉は目に見えない鋭い刃物だからです。
厄介なのは、発した者には気づきにくいのに、言われた人は、その言葉で心が砕ける。
 
正に、鋭い刃物なのです。
 

言葉は難しいよね、無意識に傷つけたり、傷ついたり・・
だからこそ、自分の気持ちを伝える、とても大切なツールなのです。

 
コミュニケーションって、向き合って、話し合う・・事だけではない、
普段の何気ない「ありがとう」とか「これ、おいしいよ」とか「ごめん」などの、日々の時間の中で、思い浮かぶ言葉こそが、コミュニケーション の始まりだと・・・、思います。
 

コミュニケーションが足りなくて、失敗した例

私は、言葉不足で失敗した・・と、思える出来事は盛りたくさんあります。
一番多いのは、親とのコミュニケーション不足にて起きた出来事・・・後悔てんこ盛り。
 
私が育った家庭は殆ど会話がない、というよりも、養父母たちは常に忙しくバタバタと動き回っていた。それが当たり前の環境だった。今振り返れば『挨拶ぐらいしろよ』と、思うのですが、会話を求めていた私なのに、挨拶も出来なかった。そんな日々の積み重ねは、私から言葉を消した。
 
そんな私は、学校へ行っても常に下を向いて、誰をも拒否をしていた。教室で先生に、ただ名前を呼ばれただけなのに、心臓はバクバク、顔は真っ赤、返事も出来ず、ただ立ち上がると、涙が溢れポロポロと落とし続けた。そんな私が挨拶など出来るわけがなかった。
 
こんな私のような人を作らないためにも、
普段から、声を出そう、挨拶をしよう、笑みを広げよう。
そして、今の時を大切にしてほしい。
 
家庭内の会話は、親の声かけから始まる。
親子で笑い合えると・・いいね。

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