“ありがとう”、の言葉をあなたは使えますか?
私は、ありがとうの言葉を使うことは出来ませんでした。
例えば、物を落として、拾って頂いた方へ「すみません」。
プレゼントなどを頂いても「すみません」。
と、何の違和感も持たずに当たり前のように “すみません” の言葉を使い続けていた。
でも、こんな時こそ “ありがとう” の言葉を使うのが当たり前ですよね。
なぜ、“ありがとう” の言葉を使わず、“すみません”なのか
この問いかけに対して振り返ると、当時の私の脳には “ありがとうの単語” がなかった。
すみません、ごめんなさい、の単語のみが存在していた。
学生時代に友だちからプレゼントなどを・・頂くと、心の中では『こんな私に気を遣わせてしまい、ごめんなさい。』から始まり『いいのよ、気にしなくて、私のことなんか』と、脳裏の中で羅列する言葉、そのためなのか『プレゼントを頂いても、うれしい』の感情が薄く、心から喜べなかった、酷い私だ。
当時の私は、“自分の存在を消したかった”。この感情は、3歳頃に芽生えると6歳で『死にたい、なぜ生まれてきた』と、声を殺して泣き続けた日々がある。孤独との戦い・・・。
こんな気持ちの根底には、幼い頃の『家庭環境』が、大きく関わっている。3歳の時に、家にいるはずの、母と兄、2人が突然消えた。現れたのは満面な笑みで「今日からこの女がお母さんだ」と、本当に嬉しそうに女性を紹介する父の顔だった。
父の顔を見ていると『母と兄』の事を聞くことが出来ず、私は、ただ『母と兄に、捨てられた、嫌われていたんだ』と解釈し、大人への不信感が生まれた。この思いは心の中へしまい込んだ。
そうして、父と継母、3人の生活が3年目を刻む、ある夜、突然、継母の大声が聞こえた。
その声で目を覚ました私は静かに聞き耳を立てる。「どうして、離婚してくれないの」と継母。
「ふくみは、どうする」と父の声。「私が引き取る」と、言い切る継母の言葉。
継母が言ってくれた「私が引き取る」この言葉は私の心を救った。
当時の私は、常に「また、捨てられる」の不安を抱えていた。
離婚問題で荒れている夫婦の波を掻い潜り、私の心は爽快に晴れていた。
『今一度、信じる』と、大人への不信感を消した瞬間だった。
その後は、継母の泣き声が響き渡った。
そうして、日々の時が流れると、私は小学生になり赤ちゃんが誕生した。
すると、赤ちゃんを見つめる継母の優しい笑顔(?)、悲しい笑顔(?)を目にする。
そんなある日の朝、とても爽やかな笑みを浮かべる継母、隣には、赤ちゃんが寝ている。
枕元に座り込む私の顔にも笑みがほころぶ、
「いってらっしゃい」と、継母の優しい声、包み込むような優しい笑みが私へ。
「いってきます」と、元気に答えた私。
この時が継母との別れ・・・、私が学校へ行っている間に、自殺した。
その3ヶ月目、父は赤ちゃんと共に、死を選んだ。
行き場を失った私は、自動的に祖母の家へ引き取られる。私を引き取りたくない祖母は、私を目にする度に
「なんで、お前は生きている! この世にいないはずなのに、なんでいる! 早く死ね!」 と、睨み、恨みを載せて大声で “目障りだ消えろ!” と、怒鳴り続けた。
その当時の祖母の声、祖母の顔、言葉は、時が刻まれても、私の脳裏に焼き付き心に突き刺さったまま、現在も生き続けている。
居場所がないこの家で暮らす私、声を殺し泣き続ける『生まれてきてごめんなさい、死にたい、どうして、私も連れて行ってくれなかった、お父さん、赤ちゃんだけ連れて行って、どうして、私を捨てる』と、何度も何年も心の中で、叫び、訴え、死を願った。(小学生時代は自殺未遂を繰り返していた)この世に生まれてきてごめんなさい、が、迷惑をかけて “すみません” に置き換わった。
幼い頃の環境から学んだ『すみません』の言葉は、ありがとうの単語を消した。
すみませんの言葉が、ありがとうの言葉に変わった。
何も気にせず、何も考えずに、使い続けてきた『すみません』の言葉・・だったのですが、
30代、会社勤めの時に、“はっ”、とする出来事に出会った。
入社したばかりの私は当然のように、ただ、お茶を出す「ありがとう」の言葉が返ってきた。
マッ、いつものように口先だけで、ありがとうの言葉を流されたのならば・・・、
このときも私は、きっと、何も気づかなかった、と思う。
ところが、明るい声で「ありがとう♪」と、私と目を合わせて “笑顔” も広げてくれた。
その瞬間、“はっ”、とした。私は赤面、心はウキウキ、なんだか、嬉しくて嬉しくて、
このとき初めて『ありがとう』の言葉の意味を知った気がした。
“ありがとう” の言葉は、使う人にも耳にする人にも、大切な言葉。
もしも『すみません』の言葉を使われたならば、ウキウキの嬉しさは込み上げない。
一瞬でも幸せ気分を味わえる、ありがとうの言葉を使いたい
私がもらった、幸せ気分を私と出会った人にも伝えたい。そんな思いを胸に抱えて、ありがとうの言葉に挑戦する、が、とても難しく苦戦したことを記憶しています。
ありがとうの言葉は、私の脳にはインプットされていない。
ありがとうの言葉を使う勇気が持てず、ただ脳で考えて、必死にタイミングを探す。
そんなある日、ささやくような声で「ありがとうございます」と、言った時に
「どういたしまして」の言葉と微笑みをもらった。
“感動”、と、“言えた”、の思いで、私はウキウキ、幸せ気分に包まれた。
その後は、少しずつ少しずつですが、使う回数が増え、今では元気に明るくありがとうが言えます。
良い言葉ですよね「ありがとう」の五文字は、
自分にも、相手にも、その一瞬だけかも知れませんが、幸せ気分が広がる、、、ねっ。
現在の仕事では、ありがとうの言葉を欠かすことは出来ない、、頻繁に使っています。
そうして、微笑みをもらっています。私の方こそありがとう・・です。